パラレルお江戸十将伝


 
(※タイトル通りまさかのお江戸風味でパラレル。登場人物はすべて捏造、原作とはなんの繋がりもありません)


「寄ってらっしゃい見てらっしゃい、あの伍風斎の傑作『江戸美人帖』の新作、本日解禁〜!」
 威勢のいい呼び声に、人々は釣られるようにして店を覗いていく。
 ここは花のお江戸日本橋、天下の将軍様のお膝元。そこに暮らす人々は必ずしも裕福とは限らないが、町を行き交うどの顔も活気に溢れ、店も賑わいに満ちていた。
 この店もそのひとつで、店頭にひしめくように並んだ本や浮世絵に、人々は魅入るように目を輝かせている。
 特に目を惹くのは、豪奢な振り袖を幾重にも重ねた着物をまとった女の浮世絵。長い黒髪を垂らした背中越しにこちらをじっと見つめる女の視線はどこか幼そうでいて艶やかだった。
 それは先程の小僧が一生懸命に声を張り上げ宣伝していた『江戸美人帖』のうちの一作で。『江戸美人帖』といえば今をときめく浮世絵師、伍風斎如庵(ごふうさいじょあん)の大人気作のひとつだった。題目の通り、このお江戸の町に実際に住まう美人達を描いていく連作で、その顔ぶれは市井の者でも親しみやすい評判の町娘をはじめとし、庶民である限りおそらく一度もお目にかかれぬだろう高級遊女まで、多岐にわたる美人達を取りそろえていることで愛好者が数多い作品だった。今も店頭では我先にと男達が群がっている。
「ほっほぅ、如庵くんめ、こりゃまた随分と通なとこの別嬪さんを選んできたじゃねぇか。こりゃあ俺も負けちゃいらんねぇな」
 そんなにぎやかな店の様子を眺めながら、無精髭を蓄えた背の高い男が楽しそうに言った。それを聞いた隣の連れらしき、これまた女性にしては長身の娘が男の袖をぱしりとはたく。
「なに言ってんのさ。負けるもなにも伍風斎と張るだけの度量が自分にあると思ってるのかい。六衛門(ろくえもん)は洒落本ばっかり書いてるくせに」
「や〜、おはちちゃんもわかってないねぇ」
 男は立てた指を左右に振りながらおはちに力説する。
「洒落本作家の俺を差し置いて遊郭の女を浮世絵に描こうだなんて、如庵くんも水臭いったらないね。俺の情報網をなんだと思ってるのかねぇ。一声かけてくれりゃあいいのに」
 この男、これでも江戸の遊郭に詳しく、一応『楽衛門(らくえもん)』と言えばその手の指南書で数ある著書をこなし界隈では名のある人物として通っている。
 吉原は俺の庭さ、といっぱしに胸を張っている男に、おはちと呼ばれた女は呆れたといわんばかりの視線を向けた。
「・・・・・・っていうか、いい加減『楽衛門』って呼んで欲しいよね、おはちちゃん」
「あんたがあたいのこと『おはちちゃん』って呼ぶの止めたら考えてあげてもいいけど」
「もう、つれないなぁ〜、おはちちゃん」
 表情を崩しながら頭を掻く六衛門に、おはちは大げさに肩をすくめた。こうやってこの男は、いつだって自分のことを子供扱いして煙に巻くのだから気にくわない。
「しかしまぁ、朱雀屋の九重(ここのえ)花魁、ね。女のあたいが言うのもなんだけど、こりゃまぁえらい別嬪さんだわ」
 件の美人の浮世絵を見つめながら、おはちは感嘆の声を上げた。確かに同性のおはちから見ても、絵から匂い立つような色香に目が離せなくなる。
 美しく描かれているのだけれども、まじまじと見てみれば女の顔には表情はなく。所詮は絵、けれどそれが逆に本物の彼女はどんな声をして、どんな風に笑うのか、想像を掻き立てられ。
「・・・・・・どんな娘なんだろ、九重花魁って」
 しばらく情けない顔をしていた六衛門だったが、おはちの声にふっと真面目な顔になったかと思うと、周りを気にしてか彼女だけに聞こえるように声をひそめた。
「気になる?」
 訳知り顔な六衛門の様子に、思わずおはちも身を乗り出す。
「なにか知ってんのかい?」
「この別嬪さんは秘密があるんだよ、おはちちゃん」
「秘密?」
「まぁ秘密って言っても、俺にもはっきりしたことは判らないんだけどね、噂よ、う・わ・さ」

 
***


 さて、時は変わって、ここは江戸随一を誇る歓楽の園、吉原。
 日本橋の賑やかさとは違う種類の賑わいを見せ、白粉と酒の匂いの似合う場所である。
 お江戸の町の人口比率は圧倒的に男性が高く、必然的にこうした類の歓楽街が形成されていった。そうした人々の逼迫した身体事情を直截的に晴らす場であるとともに、ごくごく一部の 店には大々的に吉原には顔を出せぬような上流層の客を相手にするだけの女が存在した。
 そういう知識人たちの間で特に評判を得ていたのは、吉原の界隈でも比較的静かな立地の路地裏にある、その名も『朱雀屋』といった。
 知る人ぞ知る、といった店構えの主は玉置(たまき)という人物で、このような遊郭においては異例の女性楼主であった。そんな彼女の采配の賜物かどうか、ここの遊女達は知性的で学もあり、とりわけほかの客への口も固く、良質な遊女屋としてひそかに絶大な人気を得ていた。
 そんな朱雀屋の最奧の部屋に、この店で最も可憐な花が一輪、ひっそりと咲いていた。
「十衛(じゅうえ)殿!」
 奥座敷の襖を開けた男に、まるで待ち望んでいたかのように可愛らしい声がかけられる。
 鈴の音を転がしたような可愛い声は、それだけで男達の心を溶かしてしまうだろう。けれど、この声を聞くことのできる僥倖を手にする男はほんの一握り。
「こら九重、声が大きいんじゃないか」
「なに、誰もわしの声だと思わぬわ。ここではわしは『喋れない』のじゃからな」
 そう言って男の方に両手を伸ばした少女に、まるでそうするのが決められていたかのように十衛は自然なしぐさで彼女を抱き締めた。
 赤い灯りに照らされた装飾的な室内にはそれに見劣りしない厚い豪奢な布団があり、ここが歴とした遊郭であることを示していた。
 遊郭『朱雀屋』の看板花魁、九重。艶々とした美しい緑の黒髪と、それと対比するかのように白く輝くような肌理の細かい肌、端正な美貌は見るもの誰もが心を奪われかねない。
「今日はあの狸爺が来ぬと言うから清々するわ。まったくいつまで居座る気じゃあの色狂いめ」
 そんな見た目の美しさからは程遠い、彼女の口調に十衛は苦笑を隠しえない。
 表向き口を利けないことになっているが実はこの九重、幾度となく郭言葉で話そうと試みてはみるものの、生来の言葉遣いが身から抜けず、とうとう見かねた楼主から直々に「喋るな」とのお達しを受けたのである。
 そんなわけで口の利けないことになっている彼女は客をとらず、あくまでも座敷で舞い踊り、奏で、酌をするだけだ。それを『お飾り』だと揶揄する心ない者もいるが、それは事実であるし、それを補ってあまりあるほどの美貌が彼女にはあった。
「みな、わしの外見しか見ておらぬわ」
 九重は自分の外見的な美が、他人の目に心地よく映ることを知っていても、それに甘んじるような女ではなかった。だから芸事も一生懸命身につけたし、教養も人一倍努力して学んだ。けれどどうしても、身についた言葉だけは直すことができなかったのである。
 吐き捨てるように呟いた彼女を十衛は宥めるように抱き締めた。
「俺は九重が好きだよ。お国言葉で喋る九重も、くるくる表情の変わる九重も、」
 好きだよ、と優しく耳元で囁く十衛の言葉に九重は頬をほころばせる。
 十衛の手を取って、愛おしげに頬ずりする。彼の言葉が嬉しくて、九重は仕方がない。
「さて。狸爺に悪態吐くのもいいが、今日は『いい子』にしてたかな」
「・・・・・・馬鹿者」
 言葉の意味を理解して頬を赤く染めた九重に、満足げに十衛は微笑むと、二人のすぐ脇にある褥へと九重を押し倒した。
 花魁である九重には当然のごとく客が山ほどいるわけだが、口が利けないことを理由に楼主直々に夜通しの客を個室でとることを免除されていた。つまり、どんなに客が九重との同衾を望んで山ほどの小判を積もうともそれは敵わない。そういう事情もあって、九重は男と床につくこともなく、至極気楽に花魁稼業をこなしていた。
 そんな秘密の多い花魁、九重であるが、最大の秘密は十衛という馴染みがいることだった。
 この布団の敷かれた奥座敷に足を踏み入れることのできる、唯一の男子。端正な顔をした若者だが、年頃の割にどこか落ち着いた雰囲気を持ち、こうして遊里に足を運ぶ姿は放蕩に耽る若隠居のごとく。
 九重自身、彼が何をして、どこに住んでいるのか知らないでいる。ここに通ってくるから彼に会えるだけで、外の世界で彼がどう生きているのか、知らない。
「九重」
 朱色の布団に寝かせた九重の身体に覆い被さるようにして、その名前を呼ぶ。
「いい子にしてたか、見せて」
 裾を捌いて脚を露わにされて。素肌に触れる十衛の手にぞくりと肌が竦む。
「いい子にしておった・・・・・・」
 下肢を十衛の手で探られて、着物を捲り上げられてとうとうその目に晒されてしまう。
「ふふ、いい子が聞いてあきれる」
「やぁ、」
「俺と話してただけだろう?なんでこんなに濡れてるんだ?」
 蜜口を指でなぞり上げられて、その泥濘を知らしめすように滑らかに愛撫される。
「わるい子」
「やっ・・・・・・」
「わるい子には、お仕置きだな?」
「十衛殿のせいじゃ。十衛殿がいると、駄目じゃ・・・・・・。身体が、熱くて、せつなくて・・・・・・」
「疼くのか?」
 辛抱するようにかるく唇を噛みながら、こくりと頷く姿が愛らしい。
「では、ご期待に添えますように張り切るとしますか。可愛いお姫様」

***


 十衛と九重の出逢いは今からふた月ほどまえのことだった。
 出会ったのは、お江戸の人々のあいだで爆発的に流行した『江戸美人帖』の浮世絵として、九重の姿絵が売り出されて間もない頃。
 そもそもあの浮世絵に書かれてからと言うもの、九重の周りに変化が起き始めたのだった。
 あの頃のことを何故か九重はよく覚えていた。当世の美人たちが、浮世絵に描かれることは至極当然のことであり。吉原の中でも絶世の傾城として名高い朱雀屋の九重にも、その依頼が来たのだった。
 ある夜のこと、浮世絵師と名乗るやかましく喋る男が一人でやって来て。姿絵と言うくらいだから、こうしろああしろとこの調子で指図されるのかとげんなりした九重の予想に反し、男は黙々と一心不乱に絵筆を長時間走らせていた。特に九重が何をするでもなく、いつもの座敷通りに舞を舞い、琴を爪弾いたくらいで。
 絵師というのは不思議なものだなと思いながらも、彼の手元を覗くと、下書きながらも確かに九重の表情を上手く捉えていた。
 ようやく絵筆を置いたかと思えば、その絵師は人懐っこい笑顔で九重にこう言った。
「職業柄、別嬪さんを仰山見てきたけども、こないに絵になる美しさは初めてや」
 それは賞賛のような、困ったような言い方で、思わず九重は面食らってしまった。
「ただな、別嬪なお人形さんの、本当の姿はわいでは見つけられんかった。堪忍な」
 申し訳なさそうに頭を掻きながら言った男の言葉に、九重は偽りの仮面を見破られたような気になって。絵師というのは絵にその姿を写し取ると言うだけあって、人の外面から内面をも感じ取るのだと感心したものだ。
 そんな男の描いた浮世絵は、ただ紙に摺られただけの絵姿にも関わらず、九重の美しさを紛うことなく写し取って。その匂い立つような色香に惑うもの数知れず。
 評判が評判を呼び、その姿を一目見ようと店は連日連夜の大賑わい。楼主・玉置の采配で九重の苦労は減ったものの、毎夜繰り広げられる見世物ごっこにも疲れ果てたある夜のこと。

 身体は疲労し睡眠を欲しているはずなのに、何故か寝付くことができず、九重は寝所の中でただ寝返りを打っていた。
 月のない、新月の夜。朱雀屋の中でもひときわ奧に設けられた九重の奥座敷には、ほかの部屋からこぼれ出る灯りも声も届かない。
 目が冴えた九重は、何とはなしに身体を起こした。
「ほう、九重というのはお前か。これは噂に違わぬ、深窓の姫君だな」
 突然の見知らぬ男の声と、その声がかかるまで男の気配に気づけなかった自分に、九重は驚きを禁じ得ない。場所柄そうそう簡単に外部の者が侵入できないこともあり、寝所に入った無防備な状態で他人に声をかけられるとは思いも寄らないことで。
「誰じゃ、姿を見せよ!」
 咄嗟に問う。しまった、と思うも時すでに遅し、男は喉を鳴らして笑っていた。
「ほう、朱雀屋の九重と言えば、口の聞けぬ絶世の傾城と聞いたが?」
 からかうような声音から年若い男だとは思っていたが、灯りに照らされてあらわになった男は整った顔をした美しい男だった。その顔には見覚えこそないものの、記憶の中の懐かしい顔に会ったような、どこか他人ではないような気さえして。
「お主、どこかで会ったか?」
 長い黒髪を緩く束ねた男は、ふっと表情を緩めた。
「誘うならもっとうまい誘い方してくれよ、傾城」
 からかわれているのだと気づいて、九重は慌てて口を開く。
「お主は何者じゃ、何故ここにおる」
「さて、な・・・・・・。名は十衛、お見知りおきを」
 そう言ったかと思うと、十衛は音も立てずに歩を進めて。
 寝所に腰を下ろしたままの九重に近づき、自然な動作で唇を合わせた。
 突然のことに何が起きたのかわからず呆然とする九重に、十衛はニッと笑って見せた。
「また来るよ・・・・・・九重」
 嵐のように訪れ、去っていった男、それが十衛との出逢いだった。

「なんじゃ、また来たのか」
「ああ、来た」
 あの夜の邂逅から、2日に1度くらいの頻度で男は九重の元に現れるようになった。
 九重の客がいない時間にしか訪れないところを見ると、正客として登楼していたらしい。だが花魁に馴染みになる正規の手順を踏まないあたり、なんとなくただの客ではないと感じていた。それを楼主の玉置が口を出さないところをみても、ただ者ではない。
 玉置にこそ尋ねていないが、二人が何度か話しているのを見かけたことがある。一見、客のようにしているがどうやら裏では別の目的があるようだ。
 あの晩の出会いにしても、玉置の知ってのことだろう。でなければただの侵入者、二度とこの朱雀屋の敷居を跨げぬものだ。
「お主も懲りぬな。何故こうして来る」
 十衛と名乗ったこの男、特に何をするわけでもなく、九重の部屋で他愛もない話をするだけ。出会いの夜のことがあってはじめこそ身構えた九重だったが、何を仕掛けてくるわけでもない彼の気配の穏やかさに、気を削がれてしまったのかはたまた丸め込まれてしまったのか。
 自分でも不思議なことに、彼と過ごす時間は嫌ではなかった。それどころか彼が訪れるのを楽しみにしている自分に気づいて、その感情の不可思議さに気づかないふりをした。
「どこか上の空じゃな」
 逢瀬とも呼べない時間を幾度も重ねたある夜のこと。十衛の表情がいつもより冴えないのに気づいて九重は問う。すると十衛は驚いたような顔をして、人好きのする笑顔で苦笑した。
「参ったな。顔に出てたか」
「休むか。時間になれば起こすくらいはしてやらぬこともない」
「花魁は添い寝してくれないのか?」
「馬鹿の相手はせぬ」
「じゃ、布団はいらない」
 十衛が近づいてきたかと思うと、ごろりと横になり、九重の膝に頭を乗せた。
「借りるな。お前の脚が痺れたら起こしてくれ」
 人の膝を枕にして無防備に目を閉じあっという間に寝息を立て始めた十衛に、九重は驚くというより呆れてしまう。他人の前でこうも無防備にいられるものかと。いくら九重が女だからといって、十衛に害をなさないとは限らない。
「変わった男じゃ」
 髪を撫でると、強張った表情が少しだけ緩んだような気がして。
 時が止まったようなこの瞬間が愛おしく思えて、九重は脚が痺れるのにも構わず、穏やかに眠る十衛の寝顔を見つめていた。

リハビリがてらに書いてみました。まさかのパラレル。
お江戸の町の世界観や文化を調べて書くほど真面目な物書きではないので。
すべてフィクション、遊女設定もご都合主義です。
双葉ちゃん出したいのであともう1話くらいは続くかも。

(2014/06/16 公開)
(2014/12/29 加筆)