パラレルお江戸十将伝〜其の弐


 
(※タイトル通りまさかのお江戸風味でパラレル。登場人物はすべて捏造、原作とはなんの繋がりもありません)


「この人きれーい」
「せやろ!今一番旬の美人、朱雀屋の九重花魁や!」
 鰻の寝床と喩えられるこのお江戸で、狭いながらも庭のある一軒家に住むのは庶民にとって夢のような話。しかも男独りで住むなど夢のまた夢。
 それもそのはず、この伍風斎如庵と名乗る男、今をときめく浮世絵師。ここ八丁堀に小さな屋敷を構えた男は、特に美人画の名手として知られていた。
 その彼の屋敷の小綺麗に手入れのされた庭に面した縁側で、一枚の浮世絵に見入っている少女が一人。年の頃は十五、六歳だろうか、小柄なその身にまとった淡い色合いの小紋は、彼女の栗色の髪によく映えた。
「あたしもいつかこんな風に描いてもらえたらなぁ・・・・・・!」
 憧れとばかりにきらきらと目を輝かせているのは、日本橋の呉服の大店『空見高屋』の一人娘のおふうである。よくよく見れば繊細な模様が染め込まれている着物は、さすが大店の娘の名に恥じない上質なものだ。
「あかん!おふうちゃんをそないな浮世絵になんて描うたら江戸中の男という男どもがお店に乗り込んでまうわ!そんな事態にするわけにはいかんのや!」
 縁側に続く室内で手机に向かって筆を走らせていた伍風斎は、顔を上げて必死に熱弁した。そんな彼の手元に走り書きされているのは可愛らしい少女の姿。こうして彼女が来るたびに、毎回描いては大事に取って置かれていることなど、本人は知るまい。
「もう、大げさね。絵に描かれたくらいでそんなことになるわけないじゃない」
「あ、おふうちゃん知らんな?この吉原の朱雀屋騒動」
 伍風斎は同じく手元に置いてあった色鮮やかな美人画をつまみ上げると、ひらひらと振って見せた。
「朱雀屋騒動?」
「せや。わいが描いたとたんに朱雀屋には花魁見たさの男どもが押した引いたの大賑わい。中には九重に焦がれすぎて不法に押し入った輩まで出たらしいわ」
 伍風斎の話どおり朱雀屋で一悶着あったことは事実で。その引き金となった浮世絵を描いた絵師としては、嬉しさの反面、それ以上になんとなく居心地の悪さを感じていた。
 彼の今取り組んでいる連作『江戸美人帖』は、人々の熱烈な支持を受けて、新作が出るたび題目の女性が時の人とばかりに取り沙汰される。
 ある水茶屋の看板娘を取り上げた時には、彼女見たさに客が殺到してあまりの盛況ぶりにおそれをなした娘が姿を隠したとか隠さなかったとか。店のほうは商売であるから連日連夜の人だかりで商売繁盛願ったり叶ったり、と店主から感謝されたが、今回の朱雀屋ではどうやら裏目に出たらしい。そうすべてが万事上手くいくわけではない。
「そんな物騒なことにおふうちゃんは巻き込まれんでええ!・・・・・・おふうちゃんはわいの手元で可愛らしく咲いていてくれたらええんや」
 ふざけた言い回しに、負けまいと言い返そうとしたおふうだったが、思いがけず優しい表情でこちらを見つめる伍風斎と目が合ってしまって。どうしていいかわからず、結局口ごもる。
 そんなおふうの気持ちを知ってか知らずか、伍風斎はさも嬉しそうな様子で頬を緩ませ、また手元の筆を走らせ始めた。

***


「最近、江戸の町で女が襲われていると報告があった」
 上座でそう語るのは、どこぞの色男も敵うまいとばかりの全身黒の着流しに身を固めた男。
 粋な格好に見えるものの、それはただ単にこの男が黒を好むが故だと知るものは少ない。彼の名は各務司兵衛(かがみしへえ)といい、歴とした南町奉行直属の筆頭与力であった。
 ここは八丁堀にある与力組屋敷。広いお江戸の治安を守るため、奉行の元で配下の同心を束ねる役目を担う、彼に与えられた屋敷の一室である。
 この私室に呼ばれることは彼の配下の同心でも一握り、いや、一人だけで。
「ただの痴情の縺れに俺を呼び出すわけがない・・・・・・『人ならざるもの』、か」
 目の前にいる年若い青年は、敵の多い各務が信頼を寄せる数少ない人物のうちの一人で。名を瀬具十衛と言い、本来奉行直属の隠密同心であるが、ある特別な事情により各務の下で秘密裏に物事を処理する手練れとして活躍する若き同心である。
 その特別な事情とは、まさにそれに関する事件がひとつ、このお江戸の町で起きていた。
「十衛君、君にある人の警護を頼みたい」
「へぇ、あんたがそう言ってくるなんて、明日は雪でも降るのか」
 からかうような言葉とは裏腹に、十衛の顔つきは至極真面目なもので。それだけ各務からの依頼は、彼にとって最重要機密とも言えた。
「最近評判になっている浮世絵、『江戸美人帖』を知っているか」
「浮世絵には興味ない。どうせちゃらちゃらした尻軽女が描かれてるんだろ?」
「まぁそう言うな、十衛君。それに描かれた女達が揃ってかどかわされている事実があるんだ。そこで君に、次の浮世絵の題目になった女を警護してもらいたい」
 簡潔に事の次第を述べた各務の様子に、十衛はなんとなく違和感を感じる。案件を解決するために内偵しろというならばともかく、個人の警護だけを十衛に依頼するというのは珍しい。
「『警護』だけっていうのは、何か意味があるのか」
「・・・・・・聡い君に隠しても無意味だな」
 実はな、と前置きを言って各務は先日の出来事を語り出した。

***


「珍しいね、玉置がこうして夜に出歩いてくれるとは」
 ここは大川のほとりにある料理屋。すぐそこにある浅草の賑わいが嘘のように静かだった。
 各務の正面に座っているのは、豊かな美しい黒髪を湛えた妙齢の女性である。落ち着いた色合いの縞のお召しを着ているにもかかわらず、どこか婀娜っぽく見える色気は、昔は見られなかったものだ。今の商売を始めてから身についたものだなと、各務はどこか他人事のように観察する。
「そうね、いつもお店に来てもらうばかりだものね。今日はお店を閉めてるの。ほら、今評判の浮世絵師の伍風斎如庵がうちの店の子を描いてくれるって言うから」
「なんだと?」
 玉置の口から思いがけない男の名前を聞いて、自然と各務は厳しい顔になる。
「どうしたの、難しい顔をなさって?」
「そうか、今度は君のところか・・・・・・」
 彼女は女性でありながらも、吉原に構えた『朱雀屋』の一楼主としての立場にある。本来ならそのような場で商売をするような生まれではなかったが、状況が変わった今をたくましく生きる彼女の姿に頼もしいような、手を差し伸べたくなるような複雑な心境を抱いているのも確かで。
 そんな彼女の元にさらなる不幸が近づいているなど、天はなんとも無慈悲で残酷だ。各務はもう彼女を辛い目に遭わせたくなかった。
「伍風斎の次の獲物は遊女か。どの娘が題目になっているんだい?」
「九重よ。なにかあったの?」
 ・・・・・・花魁か、と独りごちた各務は、心配そうな玉置の表情に話さざるを得ないと判断する。
「実は、伍風斎の浮世絵に描かれた娘たちがなんらかの形でかどかわされている」
「かどかわし?」
 はじめは神田の明神下の町娘。その次は上野の水茶屋の看板娘、次は湯島の花売り女。どの娘も何日か姿が消えて、突然ふらりと戻ってきたという。憔悴しきったその様子に周囲は神隠しだと騒ぐ者もいたが、各務が口止めをした甲斐もあってかその話題は町へ広がるまでには至っていない。
 彼女らは数日の間の出来事について固く口を閉ざしているが、各務には心当たりがあった。
 そんな彼の調べに、彼女たちもようやく真実を語り出した。ただそれは大衆にはとうてい理解できない不思議な話。そう、この世には、『人ならざるもの』が存在する・・・・・・。
 『人ならざるもの』、それは市井の人々のあいだに存在する異形のことである。もしくは彼らに魅入られあるいは操られて、欲望に駆られるままに悪事に手を染める人のことでもある。
 各務は人ならざるものによる事件を専門に扱う筆頭与力であった。
 人ならざるものと対峙するための特別な力をもつ、彼らのような存在がいることは公には固く秘密にされていて、平時はこうして町方の与力に身をやつしているが、お上からの沙汰次第で動く特別職であった。
「・・・・・・浮世絵に描かれるとすれば、九重も安全とは言えない」
「各務さま、後生ですからどうか九重をお守りください。身寄りのないあの娘を引き取ったのは店のためじゃないわ。九重とは何の血の繋がりもないけれど、あの娘は私にとって家族同然の大事な娘なの」
 意志の強い娘だ、とあらためて思う。こういう彼女の一面に、昔からめっぽう弱かったのだと各務は自覚する。
 与力という立場ある役目を受けた彼は当然身を固めよと周囲から縁談を勧められて来た。それをすべて断りつづける理由は、玉置の存在だった。
 別に恋仲などというわけでもない。けれど、かつて彼女が武家の子女であった頃、決まった約束などがあったわけでもないが、将来、彼女を娶るのは自分だと思ってきた。
「玉置の亡きお父上も、お身内を家族同然に大切にする方だった」
 それが原因で家名が取り潰しになり、今の玉置の苦境に繋がっているとはいえ、健気なその姿は生前の彼女の父の姿に重なるものだった。
 時は人の装いや立場あるいは身分を変えていくけれども、その心までは変わらない。
 在りし日に抱いた恋心を手放せず、各務はまだ独り身を決め込んでいる。
「わかった、手配しよう」
 そうして白羽の矢が立ったのが十衛であった。


***


「九重、ね」
 各務から渡された浮世絵を手に、十衛は独りごちる。口の利けぬ花魁と聞いたが、絵の通りだとすれば、確かに傾城の名に遜色ない容貌である。この美貌ならば、言葉を話せないという障壁などものともしないだろう。
 各務に言った通り、十衛は浮世絵に興味もないし、誰もが好むような尻軽女に関心もない。けれど、この絵に描かれた女のどこかもの言いたげな視線が気になった。
 所詮は紙に描かれた絵。果たしてどれだけの美貌か、ちょっと拝みにいってやろうと、そんな軽い思いつきのつもりだった。
 そうして十衛は、数日後に控えた楼主との約束を待たずして、各務から話を受けたその日のうちに遊郭・朱雀屋へと忍び込んだのだった。十衛自身、これが衝動に突き動かされたゆえの行動だと、気づかないまま。
 偶然にも今宵は新月で、ただでさえ人に見つかるような下手なことをする十衛ではないが、気配を絶った彼の姿を隠すのに好都合だった。
 九重の私室がどこにあるかは聞いていなかったが、探せばいいことだ。
 あっという間に朱雀屋の楼内に忍び込むと、ただ無心に感覚を研ぎ澄ませる。訓練を積んだ十衛の耳には、男の本能を鷲づかむような女の甘ったるい嬌声がどこからか耳に零れてくるけれど、無視を決め込む。
 気配を絶って奥へと進む。灯りのない部屋が続き、だんだんと人の気配さえもなくなっていく。さらに奥まった部屋に進むと、なんとなくここだと直感が働いて、暗い室内にそっと入りこむ。
 その部屋に入った瞬間、まるで時間が止まったかのような感覚が十衛を襲う。
 暗闇に慣れた十衛の目に飛び込んできたのは、女の姿。
 艶やかな黒髪が闇に光る。陶器のような白い肌と、小綺麗な顔立ちはまるで絵のようで。
 ただその寝顔を拝めればいい、と軽い気持ちで忍び込んだはずだったのに、あろうことか、彼女は起きていて。
「ほう、九重というのはお前か。これは噂に違わぬ、深窓の姫君だな」
 どうせ声は発せないのだから、この場を切り抜けるくらい造作もない、と思ったのだが。
「誰じゃ、姿を見せよ!」
 その場に響く、鈴を転がすような、可愛らしい声音。
 驚くべきことに、口の利けぬはずの彼女が普通に言葉を話して。
 心が動かされるとはまさにこのことだろうか、と十衛は内心で動揺した。動揺を表に出さないようにするのに苦心したのは久し振りだった。
「ほう、朱雀屋の九重と言えば、口の聞けぬ絶世の傾城と聞いたが?」
 ようやく九重が手元の灯りをつけたらしく、十衛の顔が照らされる。
 それと同時に彼女の顔もあらわになる。寝支度であるにも関わらず、どこか感じる華やかさと清らかさ。 化粧を施さぬその美貌は、どこかあやうい禁欲的な官能さえうかがわせて。
 その華奢な身体を腕に抱き締めてしまいたいのに、そうできない、もどかしい気持ち。そんな知らないはずの感情に十衛はかきたてられて。
「お主、どこかで会ったか?」
 そう問う九重に、十衛はちょうど同じような既視感に襲われていた。
 どこかで逢ったことがあるような、けれど知らない、不思議な感覚。それを率直に口に出してしまう彼女の素直さが可愛らしいと思って、つい口元が緩んでしまう。
 すると、笑われたと思ったのだろう、慌てた様子で誰何を問うのがますます可愛らしく。すこし勝ち気な性格も好ましかった。
 このまま帰るのが名残惜しく、もっと彼女に近づきたくて、衝動のままに口づけてしまった。
 唇を離すと、何が起きたのかわからなかったわけでもあるまい、不意を衝かれたとばかりの九重の表情に、十衛は自然と笑みが浮かぶ。もっと彼女の色々な表情が見たい、知りたいと思ってしまう。
「また来るよ・・・・・・九重」
 吉原を出て、日本堤を駆ける道すがら、その柔らかくあまい感触を思い出しながら、ようやく十衛は心が弾んでいる自分に気づき、同時にその感情に戸惑うのだった。
 気づけば、夜明けはもうすぐそこまで来ていた。

続いてみました。書いてるわたしだけが楽しいパラレル。相変わらず設定や時代考証はご都合主義です。
しいて言うなら凶魔とか倒魔術という単語を出さないようにしてるくらい。
双葉ちゃん出せて満足しました。きっと可愛い着物着てる。
わかりやすくてわかりづらい壬吾の恋心も書けたし。
鏡視郎とたまきの幼馴染みかつ許嫁設定は勝手に走り出して面白かったです。
十衛は、若干キャラ掴みづらい。原作からしてそうか。あぁ主人公なのに。
全幽将を出すまでは細く長く続きたいと思います。

(2015/01/01 公開)