ふたたびのはじまり
(巻之弐ラスト、『濡れ吹き』との闘いを終えた風印高校保健室にて)
教室で寝ている、と言って体よく保健室を抜け出した十斗を追うように、ここのもまた保健室を後にした。
教室へと続く廊下を歩きながら、封印クラブ宛に届いたいくつもの投書の中から、ついさっき十斗が読み上げた一件をここのは思い出す。
「だから田舎者だっていうんだよ」
からかわれたのはしゃくだったが、すぐに保健室から出て行ったのは、どこか彼なりの照れ隠しであるかのように、ここのには感じてならなかった。
がらり、と音を立てて1年B組の扉を開ければ、窓際から二列目の一番後ろの席に探し主の姿があった。
「じゅ・・・・・・」
声をかけようとして、その目蓋が閉じていることに気づく。
どうやら眠っているらしい。ここのは無意識に音を立てぬように近づき、十斗の隣の窓際の席に軽く寄りかかった。
机の上に組んだ両腕の上に片頬をつけ、外を見るような格好で眠る十斗の顔を見つめる。
目を瞑った彼は身じろぎひとつせず、そんな十斗を見つめながらここのはどこか不思議な気分を感じていた。
他人、まして男性の寝顔など見ることのなかったここのにとって、それは不思議な行動だったのだけれど。それ以上に、言葉すら交わさず彼を見つめるこの時間が懐かしいような、こうして二人で過ごせる時間が愛おしいような、そんな気さえして。
そういうことが、今までにもよくあった。今までここのの経験になかったことなのに、しっくりくるような感覚。
それが、特に『彼』に対しては、その感覚が強かった。
古い知り合いに会ったような、そう、まるで、他人のような気がしない。
思わず本人に確かめてしまったが、否定の言葉を聞いても、その感覚は消えなかった。
それが『前世』の因縁なのだろうと思う一方で、双葉や壬吾には感じないものだった。
『濡れ吹き』との闘いで感じた、あの不思議な感覚。いつもにはない白日夢のような、あれはもしかしたら・・・・・・。
思いを巡らしながら、下ろされた睫が長いのだな、とぼんやりと思っていたその時。
「人の寝顔見るなんて、悪趣味だな」
眠っていたと思われたはずの十斗の口が開き、意味ありげに笑った。
「なんじゃ、狸眠りか」
悪びれずにここのが言えば、十斗が目を開けた。
「何かあったのか」
そう聞かれて、保健室を出て行った彼が、用があれば呼べと言っていたことを思い出す。
「いや、特にこれと言って用があるわけじゃないのじゃが、」
「ないのか?」
では何故ここにいる、とばかりに、怪訝そうな視線を投げかけて来る十斗に、ここのは一瞬動揺する。
そう言えばどうして自分はここに来てしまったのだろうか。
それも彼のあとを追うようにしてまで。
そんな自らの動揺を悟られまいと、寄りかかっていた机から立ち上がって、窓辺へと近づく。外では、暮れ始めた太陽が空を黄昏色に染めていた。
いつだったろうか、こうして暮れる夕陽を誰かと見たような気がする。
隣にいた人物の顔を思い出そうと必死に記憶を辿ってみるが、それは叶わず、いつしかそれは短ラン姿の彼へと変わる。
一瞬の逡巡ののち、ここのはふと思いついた問いを口にした。
「薬を打つと瓜が回る、と言っておったな」
「・・・・・・そんなこともわからねぇんじゃ、東京はおまえみたいな田舎者が一人でうろうろしていい所じゃねぇってことなんだろうよ」
「どういう意味じゃ」
くるり、と振り返ると、十斗が呆れたように嘆息を零した。
「・・・・・・お前みたいな田舎者は、うかうかしてっと危ない目に遭うってことだよ」
十斗のその言葉に、いつだかの双葉の言葉を思い出す。
『彼、口が悪いからああ言っちゃうけど、本当はきっとここのさんのこと、』
「・・・・・・心配、してくれておるのか」
そう言葉にした途端、かたん、と音を立てて椅子から立ち上がった十斗と目が合った。
軽口で返されるとばかり思っていたここのは、いらえのない十斗をただ見つめた。
無言のまま立ち上がった十斗が数歩踏み出し、ここのは窓際に追いつめられる。とん、と背がぶつかって、ひんやりとした硝子の感触が背に当たった。
それでもここのから離れる素振りを見せない十斗に、ここのは訳もない緊張をおぼえた。
十斗の手が動いて、ちょうどここのの顔の横あたりの窓につく。
初めてこんな間近で見る他人の顔に、あまり凝視しては失礼なのだろうかと思いつつ、何ができるわけでもなくただじっと見つめる。
夕日に照らされた彼の顔に、どんな表情が浮かんでいるのか、ここのにはわからない。
わずかに眉を寄せているのが見て取れる。怒っているわけではなさそうだったが、ここのにはそれ以上の感情は読み取れなかった。
その顔がゆっくりと近づいて、ここのの顔に触れそうになる。
瞬きすらできない、緊張感。
「・・・・・・お前、危なっかしいんだよ」
ひそめられた十斗の声が、耳に吹き込まれる。
「保健室、戻るぞ」
そう言われてここのは我に返った。
視線をやれば、廊下へと続く扉に向かう十斗の後ろ姿があって。その途端、身体中に満ちていた緊張感が解けて、ここのはその場にずるずるとへたり込んだ。
***
誰もいない廊下に出た十斗は、ここののの気配がまだ動かないのを確認して、足を止めた。
早鐘を打つ、胸の鼓動がいつまでも落ち着かない。
耳元に囁いた時に触れ合った頬から伝わる温もりがまだそこにあるような気がして、思わず片手で触れる。
「俺が襲っちまってどーすんだ」
すぐそばに感じた少女の香りに、緊張して、惹かれて、何をしようとした?
唇に触れそうになった、あの一瞬。
「ほんと、危なっかしい奴」
誰かに見られているわけもないとわかっていたけれど、隠しきれないそれを十斗は手の甲で隠し、ひとり微笑んだ。
唐突に初々しい二人が書いてみたくなってみた次第。
でもきっと巻之弐でこんなに進展したらあとが続かない(苦笑)。
(2011/07/20 公開)