after story


  目次

「御前さま?御前さまに会えるのか?」
 意味深なここのの言葉に眉を顰めながらも、十斗はここのについていく形で部屋をあとにする。再び謁見の間へ向かっているようだったが、ただでさえ広い幽殿の敷地内をこうして自由に往き来できるのも、ここで暮らしていたここのがいるからだ。
 わずかに先を歩くここのを見つめる。どんな表情をしているのかはわからないが、すっと正した姿勢は美しく、凜としたその佇まいは迷いなく見えた。
 やがて、今は無人となった謁見の間にここのと二人きりで入室する。かつての主のいなくなった御簾の向こうは先ほどと同じようになんの気配も感じない。
 訝しんだ十斗の様子に気づいたのか、ここまでずっと無言だったここのが口を開いた。
「ここは幽殿、いわばこの土地自体が仙界との扉じゃ。仙界の者と会うのにこれほど適した場はあるまい」
 幽殿が幽殿たる理由、それは仙界に存在する神仙である御前さまが人の世に住まうための住処である。それと同時に、仙界へと続く空間であるということは幽将の一人として十斗も知識としては聞いていたが。
「扉・・・・・・ったって、仙界と繋げるなんてことが可能なのか?」
「なに、わしを誰だと思うておる」
 本気なのかふざけているのか、にっこりと魅力的な笑みを浮かべたここのは、ゆっくりと御座所へと歩を進める。
「ここから先は、御前さまの居住空間じゃった」
 主がいなくなった後も、御前さまがいたときと同じようにその空間は清浄のまま保たれていた。あの頃と違うのは、ただ御前さまがいないだけ。
「やはりの、より濃厚な仙界の気が満ちておる」
 そう呟いたここのは、導かれるように奥座敷へと足を踏み入れた。
 主のいない上座には八卦台が置かれ、榊と水といくつかの器が供えられていた。おそらく朝夕の餉もここに供されるのだろう、御前さまが在った当時と同じように今も世話がされていることを感じさせた。
 一方で十斗は、そこに満ちる清浄な気配に別の既視感を感じていた。
 かつて現世魔王に滅魂散で操られたここのを介し、繋がった仙界の気。目の前にいるのに、取り戻せない悔しさとやるせなさ。そして同時にここのが『召し上げ』られた場面も蘇って、ひどく胸が痛んだ。
「・・・・・・ここの」
 衝動的に、十斗はここのの腕を取って己のほうへと抱き寄せた。
「じゅ、十斗?」
 不意を打たれたとばかりにうろたえるここのに構わず、十斗は抱き締める腕に力を込める。こうしてこの胸に抱き締めることができる、今ここにあるここのの存在がただ愛おしい。
「・・・・・・また、お前が遠くに行っちまいそうな気がした」
「わ、わしはここにおるぞ?」
「あぁ、わかってる・・・・・・」
 あんな思いはもう二度としまい、と十斗が固く胸に誓った時だった。
 突然、ひときわ清冽な空気があたりを包み、一瞬にして周囲の景色が消えたように見えた。まるで舞台上の装置替えのように、あざやかな手はずですり替わったのは柔らかな光のある世界。
 突如として現れた空間と、そこに音もなく浮き上がった人影に、十斗もここのも息を飲む。
 公家を思わせる束帯に似た出で立ちと、おかっぱのようにまとめた黒髪、外見の幼さとは不釣り合いにさえ思える老成した穏やかな微笑み。十斗が御前さまの姿を直接目にしたのは、現世魔王との最終決戦で奇刻城の天守閣で会った一度きりだが、その姿は忘れようもない。
「御前さま・・・・・・」
「おや、取り込み中であったな、十将殿」
 若々しい少年の声音にも関わらず、それは深みのある重厚さを持ち。
 御前さまの姿に、自然と二人は身体を離し、ここのは巫女装束の裾を優雅な仕草で払うと両膝をつき頭を垂れた。気配から十斗も倣ったのがわかる。
「御前さま、幽殿の気を通じこうして無理なお目通しいただくこと、どうかお許し願います」
「なに、聡いここののこと、許すも許さぬもこうして会いに来てくれたこと、私は嬉しい」
 御前さまはそっと歩み寄り、垂れたままのここのの頭に触れた。
「ここのや、大儀であったな」
 現世魔王が倒れた時と同じ言葉をくれた御前さまに、ここのは面を伏せたままさらに頭を垂らした。
「よくぞ耐えた。ここのならできると信じていた。本当によくやってくれた、ここの」
 言葉は少なくとも、御前さまからかけられる言葉はここのにとっては十分な慰めと言えた。
「勿体ない、お言葉でございます」
 感極まって涙声になりそうなところを、なんとか堪えながらここのは声にする。
 そんなここのの様子が落ち着くのを待って、御前さまは言葉を続けた。
「貴布ここの。一度『召し上げ』が決まった身ゆえ、仙界からひとつ通達がある」
 そう、ここのは聖獣・麒麟を呼び出した代償こそ払ったものの、すでに仙界に『召し上げ』られたはずだった。
 『召し上げ』、それは神仙たちに選び抜かれた者が仙界の住人として招かれることを指し、つまり人間としての死を意味する。それにもかかわらず、ここのは今こうして生きている。
 顔を伏せたここのには、御前さまがどんな表情を浮かべているかわからない。
「『主の召し上げは決定のこと。ただし、その時期については今世の生を全うするまでとする。それまでは主は獣の幽将であることに相違なく、仙界では主が四聖獣を使役するのに異論はない』」
 さらに御前さまは言葉を続ける。
「『依代を介した血の契約を破棄し新たに命の契約と為す。その契約は今世、主が生きる限り。純潔の契約は不要』と言付かった。言っている意味がわかるな、ここの」
 頭を垂れたここのは、とっさに返答をすることができず、頭を垂れたまま動けなかった。
 無言のここのに、御前さまは柔らかな声音で声をかける。
「顔をお上げ、ここの。お前の耐えた二十年の年月、人間にはけっして軽いものではない」
 神仙でありながら人間と共に生きてきた御前さまだからこそ、その年月の重さを理解してくれたのだと感じられる。
「今のここのはあの頃よりもずっと強くなった。幽殿に閉じこもっていたあの頃よりもな。なにがお前を変えたかわかるか、ここの?」
 ここのはただ頷く。あのとき御前さまがここのを幽殿の外に出してくれなければ、気づけなかったたくさんのことが頭を過ぎる。あのまま幽殿にいれば、対凶魔用の戦闘兵器として闘いの中でひとり死んでいただろう。
「仲間をはじめ、護るべき人がいることに気づけたな、ここの。そして、愛する人も」
 御前さまの視線が十斗に向けられて、ここのは動揺する。
「・・・・・・わたしは巫女として、」
「純潔を失ったくらいで主のその力、弱まると思ってか?」
 ここのの戸惑いを見抜くかのように御前さまは言葉を続ける。
「愛し愛されよ。女子としての幸を、その身に受けるといい」
 やわらかな声音で言われ、ここのは困惑しながらも頷く。
「光の幽将、瀬具十斗殿。ここのを託して構わぬな?」
 二人の間に交わされていたやりとりを黙って聞きながら、十斗は静かに面を上げた。
「ここのを護ると、ここに誓う」
 御前さまとかち合った視線に嘘偽りはない。頷いた御前さまの目は幼子を想うかのような慈愛に満ちていた。
「それでこそ、渾仙宮の見込んだ男だ」
「渾仙宮?御前さま、それはどういう・・・・・・」
「ハァ、まったく、御前の話は回り口説くて適わぬ。聞いているこちらが飽きるわ」
 突然聞こえてきた女の声に十斗はあたりを見回す。
 どこを探してみても姿はなく、四方八方から声が聞こえてくる様子はまるでこの世界から語りかけられているかのようで。
「さっそく来たかと思えば、男連れとは。やはり面白い女子じゃ。すぐにでも『召し上げ』してやりたいものだが残念だ」
 ため息をついたような声音とともに、風が運ばれてくる。
「渾仙宮よ、『刻氷』と麒麟の召喚の許しを感謝する」
 姿の見えない相手に対して臆することもなく、ここのは言う。かつて『召し上げ』られた経験からこの世界には客観的な存在はなく、形などあってないようなものだと理解していた。
「利口な女子じゃ。なに、お主がずいぶんと長く目覚めぬものだからな、お主の心にあった男の『生きた分だけ』時を停めてやったまで。選ぶとよい。褒美だ」
 カラカラと笑う声音はなにやら楽しそうだ。
「今世をよく生きよ、貴布ここの。また会いまみえるのを楽しみにしているぞ」
 真っ白な光が溢れるように満ちて、その眩しさに目を閉じる。やがて目を開けると二人は幽殿の奥座敷へと戻っていた。
 白昼夢のような出来事に、思わず二人で顔を見合わせる。
「今のは?」
 短い邂逅ではあったが、神仙とは二度目の遭遇になるここののほうが状況を掴めていた。
「渾仙宮という。仙界の親玉じゃ。お主の時を止めていたのは『刻氷』の力ではなくあやつじゃったようだ」
 十斗の時を停めていた理由も分かったのは喜ばしいことだった。なんとなく呼ばれているような気がして訪れたこの幽殿だったが、ある程度の答えを求めて来たというのに、答えをもらったところでここのの心は途惑いを抱えるばかりで。
「選ぶとよい、とかなんとか言ってたな」
 渾仙宮の言葉をなぞらう十斗に、ここのも頷く。
「褒美やら、どういう意味だか。まったく、神仙とは理解に苦しむ奴らじゃ」
 そう言うここのの表情には、途惑い以上に安堵の笑みが浮かんでいた。


 ***  突然の、だが喜ばしい訪問者を送り出した二人の神仙は、いまだ彼らの消えた場所にいた。
 御前さまの前には、古代の支配階級にあるような豪華な装束を身にまとった一人の女性、先ほどは姿を現さなかった渾仙宮の姿があった。意識体である彼らがこうしてわざわざ人の形をとるのは人間と相対する時だけで、今は不要なはずなのだが、すでにもういない二人の人間に思いを馳せるにはこのほうがいいように思えた。
「渾仙宮さまも罪作りなお方ですな」
「そうかえ?好いた男の時を止めてやったのだぞ。まぁ、ついでに今世でともに召し上げてやろうというのは黙っておいた」
 豊かな黒髪を複雑に結った妙齢の女性は、目を閉じて言う。
「・・・・・・ここのの人生を想っていただき、感謝いたします」
「なに、ただの退屈凌ぎさ」
 はたしてあの娘はどちらを選ぶかな、と呟くと、渾仙宮は意味ありげに微笑んだ。

  目次

(2014/07/21 公開)