after story


  目次

 心地よい目覚めだった。
 暖かい日差しが顔の上に降り注いでいるのを肌で感じ、ここのはゆっくりと目を開ける。
 視界に飛び込んできたのは見慣れた面々。そのどれもが、ここのの記憶の中の彼らよりもずっと年を経ているけれど、変わらぬ笑顔がそこにあった。
「ここの!」
「ここのさん!」
 歓喜の声で彼女の名を呼んだのは、たまきと双葉。
「なんじゃ、起こしてくれればよいものを」
 まったく寝顔をさらして恥ずかしいのじゃ、と唇を尖らせながら身体を起こしたここのに、勢いよく抱きついたのは双葉だった。
「おかえりなさい、ここのさん!」
「うむ、ありがとうじゃ、双葉。しばらく見ぬ間に双葉は綺麗になったのう」
 長く伸びた栗色の髪を、ここのはそっと梳いた。懐かしい少女の面影が重なって、けれど目の前には自分よりも年長の女性の姿があり、ここのは時の流れを感じざるを得なかった。
「ドドンゴは、相変わらずのようじゃな」
 双葉の後ろに寄り添っていた壬吾の姿に、ここのはにっこりと笑いかける。
「ドドンゴじゃのうてジャンゴやって、何べん言ったらわかってくれるんや、ここのちゃん。・・・・・・元気そうでなによりや、おかえりな」
 懐かしいやりとりに、今や教師としての立場のある壬吾も、彼女の前では形無しと言った体で相好を崩す。
「ここのちゃん、わいだって随分変わったんやで〜」
「そうか、そうは見えぬの」
 心からそう思っているような口ぶりで言うここのと、大げさに頭を抱えてみせる壬吾とのやりとりに、その場にいる一同が笑う。
「おかえりなさい、ここの」
 笑いがおさまった頃、穏やかに声をかけたのはたまきだった。双葉に抱きつかれたままの格好で、ここのはゆっくりと目を細めた。
 ここのの叔母であるたまきは、幼いころに両親を亡くしたここのの唯一の肉親であった。両親の死後、ずっと幽殿に預けられていたとは言え、ここのにとって親代わりだった彼女に、現世魔王との戦いの真っ最中に刻氷に時を停められることになったここのは、別れを告げることができなかった。あれから二十年という時が経ち、けれどもあの頃と変わらない笑顔でおかえりと迎えてくれたたまきの姿に、ここのは自然と胸が熱くなった。
「ただいまじゃ、たまき叔母。迷惑をかけたのぅ」
「・・・・・・バカね、『迷惑』じゃなくて『心配』したのよ。本当によくやってくれたわ、ここの」
 笑顔のままで涙を浮かべたたまきが、双葉ごとここのを抱き締める。
「おかえりなさい、ここの。ようやく会えたわね」
「うむ、ありがとうじゃ、たまき叔母」
 二人に固く抱き締められて、ここのも感慨にふけっているかのように目を瞑る。ややして目蓋を開けた彼女は、明るい声で言う。
「まったく、もてる女はつらいのぅ」
 鏡視郎はよいのか?と小首を傾げてみせるここのに、また笑いが起こる。
「それは遠慮しておこうか。ここのくん、身体に変わりはないか」
 言葉こそ少ないものの、ここのの身を案じていることがわかる鏡視郎の様子に、ここのも笑顔を浮かべて頷く。
「うむ、大丈夫じゃ。お主こそ、変わらないのう」
 相変わらず黒尽くめの衣服に身を包んだ年長の同胞に、さも楽しげな口調で返す。そんな飄々とした様子を見せる少女に、誰もが安心していた。二十年もの時を経ても、変わらない彼女の元気な姿に。
 けれど、それが彼女なりの『対処』であったことに気づく者はいなかった。ただ、それに気づいた唯一の人物は、沈黙を守ってそれを見つめていた。
「あれからどうなったのか、まだ聞いておらぬのじゃ。聞かせてくれるな」
 一転して、落ち着いた声音でそう問うここのに、一同が頷いた。
 闘いの集結から、凶魔の残した爪痕をいかにして復興したか。とりわけ幽将の内の一人、白金一が尽力し、今や自衛隊の凶魔対策の最高責任者となっていること。幽将たちの存在は伏せられたものの、あの事件について伝えられる事実を公表し『この世ならざる存在』への対応が求められる世の中になったこと。当時、現世魔王の依代として世間に広く認知された吉良出雲は風印高校で死んだことになり、新たな名前と経歴を得て今もなお生きていること。幽将の内の一人、乱葉葉霧はジャーナリストとして国内問わず方々を飛び回っていること、そしてそれに追儺が追従していることなど、たまきが話を先導しながら壬吾と双葉が言葉を補っていく。
 壬吾と双葉が結婚した話には、ここのは声を上げて驚き、まるで自分のことのように喜び双葉を祝福した。
 たまきの傍で黙って話に耳を傾けていた鏡視郎も、そんなここのたちを温かなまなざしで見つめていた。
「今日この場には来られなかった一将からも言伝を貰っている、『よく休め』とな」
「なんと。今まで刻氷の中で休んでおったわしに、これ以上休めとは。面白い男じゃのう」
「ここの!」
 けらけらと笑ってみせるここのをたしなめるたまきだが、以前と変わらぬここのの様子に堪らず目頭を押さえている。
「たまき叔母は年取って涙もろくなったのではないか?せっかく嫁に貰うてもらったのじゃ、鏡視郎に呆れられては困るじゃろう?」
 すかさずからかうようにかけられた台詞だが、その声音には愛情が満ちていて。
「わしはわしじゃ。年月に置いて行かれたからといって女々しく泣き暮らすわしではないわ。皆の知っている『貴布ここの』は、そうであろう?」
 その場にいる皆、特にたまきに向かって、安心させるようにここのは言った。
「まぁ、これからどうするかは、行方知れずになったわしが二十年前とまったく同じ状態でのこのこ出歩くわけには行かぬじゃろうが、まぁどうにかなるじゃろうて」
「その点については大丈夫よ、ここの。その、十斗くんのこともあってね、白金さんが手を回してくれたの。だから社会的なことは気を遣わなくて大丈夫よ。ただ、かつてのあなたを知る人たちには、説明がいるでしょうね」
「なに、わしはわしじゃ。貴布ここのである誇りを棄てはせぬ」
「お前ならそう言うと思ったよ」
 そう言ったのは、終始沈黙を守っていた十斗だった。ここののいるベッドから一番離れたところにいた十斗は、扉にもたれるようにして両腕を組んだ格好のまま、静かに口を開いた。
「これからどうする、ここの」
 十斗とここのの視線が重なって、見つめ合う。誰もが固唾を飲んで見守る中、ゆっくりとここのが視線を外した。
「あのね、ここのさえ良ければ、うちに、一緒に住んで」
 鏡視郎さんも子供もいるけど、と言うたまきに、ここのは笑顔になる。
「それも悪くない話じゃが、わしは一度、出雲に戻ろうと思う」
 思いがけない言葉に、たまきをはじめ壬吾も双葉も驚きの表情を浮かべる。
 統率者であった御前さまの消失を受けた幽殿は、現在も宗教法人としての体裁を保ちつつ存続はしているものの、組織自体はかなり変貌が起きていた。
「ここの」
 心配そうなたまきに、ここのは見ている者に安心感を与えるような表情を浮かべる。
「そんな気がするのじゃ。なに、行ってみればわかることじゃ」
 それはたまきにはわからない感覚だった。おそらく幽将のここのだからこそわかるそれに、一介の人間でしかないたまきは、その真摯なまなざしに頷き返すことしかできなかった。
「俺が同行する」
 きっぱりと、迷いなくそう言う十斗に、たまきが振り向く。
「そうだな、刻氷の副次的な産物とはいえ、十斗くんの身にも起きたことでもある。二人で行ってくるといい」
 鏡視郎の賛成の声に頷くたまきだが、その顔にはまだ心配の色が残っていた。

 瀬具家を出て、風祭夫妻と別れて間もなく、鏡視郎はたまきに声をかけた。
「心配かい、たまき」
「心配し過ぎだっていうのはわかっているんだけど、でも私にとってまだあの子はかわいい姪のここのなのよ」
 わずかに愁眉を寄せたたまきの憂い顔を、鏡視郎はしばらく見つめていた。
「十将と九将の因縁は解き放たれた。今世は、その想いに名をつけることができるだろう。若い二人を見守ってやることはできないかい?」
 鏡視郎の言葉に、たまきは目を見開き、やがてゆっくりと細めた。
「姪の交際にこんなに目くじら立てるようじゃ、先が思いやられるわね」
 母親の顔になったたまきの肩を宥めるように抱いて、鏡視郎は愛しい我が子の待つ家路に向かった。

 一方、加賀味夫妻と別れた壬吾と双葉も、十斗とここのの行く末を案じていた。
「ここのさん、元気そうだったね」
「そうやな。ここのちゃん、相変わらずやったなぁ」
「十斗くん、どうするのかな」
「どうするもなにも、二十年ぶりや、溜まるもんも溜まるっちゅうもんやで」
「なんでそういう言い方しかできないのよー!」
 頬を膨らませて双葉が怒るも、それをあしらうように壬吾は肩を抱く。
「せやけど、十やんにとってはそう簡単やないで。二十年の想いがここのちゃんに通じるとえぇんやけど」
 からかうように言う軽口の反面、内心では物事を深く捉える傾向のある彼女の夫の姿に、友人を思いやる心が見えて、双葉は無言で頷いた。
 かつて十斗に対して、淡い思慕を抱いていたことを壬吾には伝えてはいないけれど、聡い彼のこと、それくらいとっくに気づいていただろう。
 十斗の心情を全て知ることこそできないが、彼がこの二十年の間、ここのだけを見つめてきたことを知っていたからこそ、双葉は誰よりも二人に幸せになってもらいたかった。
 そう双葉が二人の将来に思いを馳せていた時だった。
「しもうた!」
 頭上から素っ頓狂な大声が聞こえて、驚いて双葉は立ち止まる。
「なによぅ、急に大きな声出して!」
 愛する妻の咎める声も耳に入らず、壬吾の脳裏には風印高校の屋上で出会った、赤い髪の男の姿が浮かんでいた。
「破軍が戻って来とること伝え忘れたわ!」

  目次

(2012/06/24 公開)